2010年で16周年を迎えるレペゼン東京なレゲエサウンド「SPICY CHOCOLATE」が新たに立ち上げたイベント、それが渋谷レゲエ祭だ!
ダンスホールクイーンの日本一を決める「DHQ JAPAN」他、長年にわたってレギュラーダンスを、渋谷でキープし続けるSPICY CHOCOLATEだからこそ提供出来る最高/最強のレゲエ祭り。ここでしか見れない奇跡的なコンビネーションも多数用意されてるので、絶対に見逃すなかれ。
東京のルードボーイたちによって結成された品川世田谷バッドボーイ・クルー(SBC)が前身となり、94年に活動をスタートさせたSPICY CHOCOLATE。
中心人物であるKATSUYUKI a.k.a.CONTROLER(セレクター/ MC)ももともとストリートにタムロするルードボーイだったが、レジー・ステッパーとバーリントン・リーヴィのSomething In My Heartを聴いたことでレゲエに開眼、一気に東京の夜へと身を投じていくことになった。
SPICY CHOCOLATEの当初の活動拠点は、南青山にあったクラブ、アフロマニア(クルー名を付けたのも同店のオーナー、PAPA TOSHI)。
SUNSETやINFINITY 16など同世代のサウンドとリンクしながら、少しずつその勢力を拡大していく。
また、96年には念願だったサウンドシステム〈爆烈〉が完成。98年頃からは妄走族をはじめとするヒップホップ勢との繋がりも増えていくなど、その後の活動基盤を徐々に作り上げていく。
2003年にはSPICY CHOCOLATE所属のBIGGA RAIJIらをフィーチャーした初のオリジナル・ミニ・アルバム『RUN DE WORLD』をリリース。そして、2007年には看板コンピ・シリーズとなる『東京RAGGA BLAZE』の第一弾が登場。
それまでの活動で培われてきたリンクを活かし、彼らにしか生み出せない〈東京ダンスホール・スタイル〉を打ち出した。
翌年には同作第2弾『東京RAGGA BLAZE 2』、同じ年の年末には同作収録曲“この道を”の別テイクで構成された『東京RAGGA BLAZE 外伝』(KEN-U、AK-69、MACCHOらをフィーチャー)が発表されてヒットを記録する。
そして、結成15周年となる2009年6月にはシリーズ第三弾『東京RAGGA BLAZE 3』をリリース--。
2010年1月には、ラヴァーズナンバーをフィーチャリングした新シリーズ『東京RAGGA LOVERS』のリリース。これ迄以上に加速度的にリリースを続け、存在感を確かなモノにしている。
そうした作品リリースの一方で、〈BOMBOCLAT NIGHT, Kachi Kachi Friday 〉などのレギュラー・ダンスやダンサー・コンテスト〈DANCEHALL QUEEN JAPAN〉も主催。
また、渋谷初のレゲエ祭〈渋谷レゲエ祭2009〉を即日ソールドアウトにさせるなど、イベントクリエーターとしても上昇気流真只中だ。常に現場を見つめ、作品を通してその熱気を伝えていこうとするSPICY CHOCOLATEのスタンスは今も昔も変わらない。フロム・トウキョウ・アンダーグラウンド。今日も日本のどこかで彼らの爆音がフロアを揺らしている。